自分にとっての「当たり前」「書くまでもない話」を、あえて書く

「登壇やブログをやってみたいが、ネタがない」という声は何年コミュニティに参加していても耳にします。そして相談されるたびに答えているのは、「そんなことはないでしょう。自分が書くまでもないと思い込んでるだけです」という話です。

自分にとっての当たり前は、みんなの当たり前とは限らない

「朝30分早く起きて読書やウォーキングをします」や「毎週かならずジムに通うようにしています」など、「それができたら理想的なのはわかるが、なかなかできるものではない」ことは世の中にいくつも存在します。ですが、やっている当人からすると、もはや「やらないと気持ちが悪い」「むしろなんでみんなはやらないのかな」などと感じているなんてこともあります。

それと同様に、「うまく行かなかったら、まずエラーログを読みます、検索します」や「フレームワークや言語の公式ドキュメントからまず調べるようにします」「すべてのタスクをJIRAやBacklogに起票してから着手します」といった開発・プロジェクトに関する取り組みも、「自分にとっては当たり前だけれども、みんなにとってはなぜそれをやり続けることができるのかわからないこと」だったりします。

「自分の当たり前」が「なぜ・どうやって当たり前」になったか

このような「自分の当たり前」を話すには、まず「当たり前の棚卸し」が必要です。「やりましょう」と言うわけでは「やればいいのは、はじめからわかってるんだよ。」で終わる可能性があるからです。

当たり前の棚卸しは、「なんでそれを当たり前のようにやることになったのか?」を振り返るところからはじまります。プログラミングに関する習慣であれば、もしかすると「やらなかったことで、大変な目にあったから」かもしれません。なにかしらの炎上案件やトラブルに見舞われ、「もうあの経験はしたくない」思いから始めた取り組みが、いつしか習慣に変わっている。そんなケースは多くの方が持っているのではないでしょうか。

その取り組みをやることで、「どんな成功につながったか」や「どんな危機を回避できるようになったか」を知ると、まだ習慣化できていない人たちにとっても、「そんな恩恵を得られるならやってみようかな」と考え始めるようになるでしょう。

棚卸しすることで、新しい気づきにもつながる

「これをやればみんな苦労しないのに」や「なんでこんな簡単なことをやらないんだろう」と他人に感じる出来事は、誰しも1つ2つは持っているのではないでしょうか。そのような出来事があった時、「あれ、そもそも自分はなんでこれやるようになったんだっけ?」と振り返ってみると、意外な発見をすることもあります。個々の改善として始めた取り組みが、俯瞰して見返すと、より大きな改善に貢献する一つの線になっている。そんな気づきがあるかもしれません。

あるいは、「この取り組みをはじめた背景を考えると、いま課題に感じている事柄にも応用して使えるかもしれない」と気づくこともあります。例えばこのブログは、もともと「ブログを書くこと」を目標にしつつ、「自分があとで思い出せるように」技術に関する覚書を http://wp-kyoto.net で始めたことが発端です。技術に関する覚書として始めたとりくみを、自分の頭の中を整理・棚卸しするための取り組みとして横展開させるために、週一での更新を目指して運用を始めています。

「なんでみんなやらないの?」と向き合ってみよう

登壇やブログをはじめる第一歩として、普段自分がふとした瞬間に感じる「え、なんでみんなこんなこともやらないの?」という思いと向き合ってみましょう。WordPressやNote、または手元のスマートフォンのメモ機能にひと言だけ残すくらいの、そんな軽いところからはじめましょう。

そして電車での移動や朝のふとした空き時間に、ChatGPTに「私はこう思うけど、みんなどうなんだろう?」のように質問してみましょう。そうすることで、「あれ、じゃあこの話って簡単にまとめて公開・登壇したら、意外とみんなの参考になるのでは」となるトピックが見えてきます。

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