ロボットやAIあるいは人工無能的なものを企画するとき、「なんでもできる万能の存在」を常に目指すべきなのだろうかと一度考え直すことができる1冊でした。
書籍
人間の会話はオープンなシステムである
VUIやチャットボットで会話を設計するときに考慮漏れが発生することは少ない。が、そもそも元になっている人間ですら会話の体系は例外だらけである。
相手からの応答をハンドルするためや過去の経験・記憶を思い出すために、「あー」「えーっと」のような不完全または不完結な発話をしきりに行っている。
人間の会話は「言い直すことが前提」になっている可能性がある。そう考えると言い澱みやや言い直しについては探索的な意味合いがある可能性もある。
完全でないことがコミュニケーションを生むケース
事例の1つとして「自分ではゴミを集められないゴミ箱」というロボットが紹介されている。
これはゴミ箱を拾おうとしている動きは見れるのだが、拾うための機能がないために拾うことができないというもの。
しかし「なにかをやろうとしていること」が側から見えることで、そこに対して協力する余地が生まれている。
会話の中でも、相手が言葉に詰まっていたり言い澱んでいたりする時にこちらから思いつくワードなどを出して、ふたりで会話を成立させようとすることがある。これと同じことと考えるのが良さそう。
システマティックな会話に慣れすぎた人間
とはいえマシンになんでも喋らせておけばよいというわけでもない。自動販売機が「ありがとう」といくら言っても、それに対して「どういたしまして」と返す人も機械に好感を持つ人も多くないだろう。
これはマニュアル的な対応だと受取手に判定されているからかもしれない。人間のマニュアル対応は、それでも人によってニュアンスや表情など完全に画一的であることはあまりない。
そう考えると、「ありがとう」という返答の出し方だけでも考えることや参照すべき変数は多く、そのヒントにこの本はなるかもしれない。